本社男性社員各位

お疲れ様です。
総務部:佐藤です。

男性用トイレのカギが壊れています。
現在、処置をしていますので、8日〜11:15まで
『カギを閉めないで下さい。』

以上 よろしくお願いします。

(内容や名前は変えてあります)

うーん、読みづらい・・・。
というより、じっくり読まないと内容を把握できない・・・。
「文章を読まないと内容がわからない」ってのは、書いた人のエゴというか、配慮が無い気がします。

僕ならこう書きますかねぇ。

本社男性社員各位

お疲れ様です。
総務部:佐藤です。
下記、皆様ご対応願います。

『男子トイレのカギを閉めないで下さい。』
 ※本日8日(月) 11:15まで
 ※扉を閉めるのは問題ありません。(鍵さえ使わなければOKです)

■詳細
 男性用トイレのカギが壊れています。
 現在、処置をしていますので、8日〜11:15まで
 カギを閉めないで下さい。

以上 よろしくお願いします。



日本語ってのは最後まで読まないと何が書いているかわからないんですよね。
それを踏まえ、読みやすいということを考えれば、まず一番初めに用件を書くべきかと思います。しかも、この手の話は単なる伝達じゃなくて、社員全員に即座に対応してもらわなきゃいけない。ってことは、このメールの伝達成果は凄く重要なんです。「送りましたから」じゃないんですよね。「全員が徹底できるようにすること」が仕事のはず。

相手がどういう文脈で、どういう状況で、どういうモノの見方で動くのか。
それを踏まえて、コミュニケーションを取らなきゃいけないと思います。

だから、Webデザインとかとかくビジュアルの話をされがちですが、結局ランディングページでもインデックスページでも文書構造をきちんとつくり、相手の興味、理解の流れに沿って表現しなきゃいけない。レイアウトも、ラベリングも、コンテンツグループも全てそれを実現するためにある。

と、考えると、メールだろうが議事録だろうが報告書だろうが、結局思考のスタンスとしては同じなんですよね。だから、Webの技術やビジュアルの話はともかく、Webサイトを立ち上げる、運用するということは、ちゃんと誰でも考えられるし、誰しもがこういうモノの考え方をしない限り、良い仕事はできないんじゃないかと思っています。
2010.02.09 Tue l 情報デザイン l COM(0) TB(0) l top ▲
http://www.webcreatorbox.com/webinfo/clients-funny-requests/?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

これ、実は物凄いいろんな問題を含んでいる気がするんですね。
大きく分けると、3つ(1つは問題ではないけど)。

・「そこは教えてあげればいいのでは?」というWeb屋の意識の問題
・デザインというものに対する意識の問題
・段取り、スケジュール、ワークフローという設計に対する費用の問題


■「そこは教えてあげればいいのでは?」というWeb屋の意識の問題

「今日中に100ページくらいのWebサイトを作って貰えますか?」


「会社のコンセプトを変えようと思うんだ。Webサイトを作り直すのに2日あれば充分かな?」


「『クリアー』な背景にしてください。いや、白じゃないですよ。透明に。」



私「残念ながら、その機能はGoogleマップについてないんです。」
クライアント「その機能をつけるよう、Googleに交渉してみた?」



当たり前ですが、相手は素人です。
素人でいいですし、それで発注ができないということは絶対に無い。
そういう意味で言うと、上記のようなものはただ単に価格感やスケジュール感を知らないだけです。
それはもう、無理なものは無理でよいですし、教えてあえればいいだけと思います。



■デザインというものに対する意識の問題
デザインとは本来「設計」を意味するはずです。
「設計書」ではなくて「設計」ですね。
だから、Webデザインというと大概ビジュアルイメージの話になりますが、捉え方によってはマーケティングから仮説立案、情報構造、ビジュアル設計、コーディング全てを「デザイン」ということもできます(実際にそう訴えている人もいますよね)。

ただ、悲しいかなデザインというものがこの国では=ビジュアルだと認識されていると思います。いや、デザインの定義など別にどうでも良いのですが、問題はWebサイトそのものが「ビジュアル」だと思われているってことです。


「特にコンテンツがないので、ライバル社のサイトにあるものを入れておいてもらえます?」


「Mixiをもっとよくした感じのサイトがいいです。」


「『バーーーン!!』って感じにしてください!もちろん音なしで!」



クライアント「デザインをもっと『一流に』してもらえる?」
私「『一流に』ってどんな感じですか?」
クライアント「よくわからないけど、前のWebサイトみたいに黒と金色を使ったデザインかな?」
私「あ、前のWebサイトの色はお嫌いかと思ってました。」
クライアント「嫌いだよ。でももっと『一流に』なると思うんだ」
私「『一流に』って何ですか?」
クライアント「なんか黒と金色って感じかな」



これらの話は、実はWebの話のようでいて、Webの話ではないと思います。
表面的にはWebの表現の話ですが、しかしこれを選定する基準はWeb以前の問題かと。


>「特にコンテンツがないので、ライバル社のサイトにあるものを入れておいてもらえます?」

こんなのは愚の骨頂ですが、それは「パクリ」とかそういう話以前の問題です。
そもそも、自社サービスを展開するべきWebサイトで「コンテンツが無い」なんていうのがおかしいです。コンテンツがないならWebサイトは公開しないほうがいいです。ユーザのためにならないから。Webサイトは単なる手段に過ぎないんです。大事なことは、「そこでお客様にどういうサービスをするのか」ということを考えることのはずです。それはもう、Webの知識以前の、心構えの問題なんですよね。


>「『バーーーン!!』って感じにしてください!もちろん音なしで!」

バーーーーーン!という表現は、僕は悪くないと思いますw
それが抽象的過ぎるのはわかりますが、それこそこちらがヒアリングして輪郭をはっきりさせていけば良い話。しかしですねぇ、こういう表現をするクライアントが往々にして困るのは、輪郭をはっきりできないからなんですよ。で、それはなぜかというと『バーーーーーン!』に根拠が無いからなんですよね。そのWebサイトに『バーーーン!!』が求められているなら、そうした方がいい。費用の問題さえクリアになるのならもう是非是非取り入れたほうがいい。Flashで『バーーーン!!』ってやりましょう!よっしゃー!つくるよー!という話なのですが、大概、他のサイトを見て雰囲気で「おお、カッコイイ」ぐらいの意識で言っているので、深くヒアリングしていくと中身が何も無かったりすることが多いです。

で、パターンは二つで、
 ・よくヒアリングしないで(輪郭がぼやけたまま)創る
  →創ったものが覆る(そもそも覆る以前に完成形が無いだけなんだけども)

 ・よくヒアリングする
  →Webの根本から話をして整理しなきゃいけないので費用も時間もかかる


要するに、Web技術やビジュアルに対するリテラシーの問題じゃないんです。
「Webでお客様にどんなサービスをしよう」ということを考える、そのベクトルすらないからこういう要望が出るんです。「コンテンツが無いから〜」なんて、お客様に伝えたいサービスがあるならそんなこと絶対に無いんです。というか、そのコンテンツ=サービスなのだから、論理的に矛盾が生じている。それが、全く無いんですよね。Webサイトを創ることが目的になってしまっているんですよね。

これ、生々しい話ですが、やっぱり大きな企業の担当者の方、一部上場でなくとも広報部や経営企画部を持っているような企業の担当者の方はよく勉強なさっていて、意識が高いです。で、個人商店のオーナーとか、マーケティングだのサービス設計などを意識していない方は、こういう意識も低いです(当たり前ですけどね)。

で、これは大変な問題なのですが、そこから生まれる下記のことのほうが問題だと思っています。



■段取り、スケジュール、ワークフローという設計に対する費用の問題
上記2点の話、ぶっちゃけて言えば「じゃあ、教えてあげればいいじゃん」という話になる。
うん、仰るとおり。それこそサービスですよサービス。Web屋のサービス設計の話ですよ。
しかし当然、コミュニケーション能力によって費用が限りなく0に近づくこともあるけれども、誰かが対応している時点で1分だろうが費用は発生するわけです。生産性云々の話ではなくて、相手にレクチャーをする時点で当然費用がかかるという意味です。

するとどうでしょう。
 A社:Webはサービスの場。弊社のリアルビジネスとどう連動させよう?
 B社:当社のイメージを表現する!「『バーーーン!!』というカッコイイサイトにしなきゃ!

どちらにレクチャーやサポートの費用がかかるのかは明白ですよね?
B社が大きい企業であれば、それだけ説得しなきゃいけない人も増える。費用はバカにできません。

これは「きちんとサービス設計をしよう」というそもそものチャネルやメディア(というよりはビジネス?)に対してのリテラシーの高低によるものです。ただ、サポートやレクチャーという意味ではそれ以外のものもあります。一番始めに出した「■「そこは教えてあげればいいのでは?」というWeb屋の意識の問題」です。これだって、教えるのには当然時間が必要です。打ち合わせでチョチョイっと口頭で終われば良いですが、それだけじゃ終わらない話もある。

たとえば、スケジュール管理にしてもそうで、スケジュールをどう組むか、それをどう提示するかということでも変わってくるし、議事録をきちんと書くかメールベースで進めるかによっても違います。また、デザインに関してもそうでやり方としてはワイヤーフレーム→ビジュアルになりますが、ビジュアルデザインが完成した後に、また作り直しレベルで作成することもある。でも、それはきちんと手順を追ってコンセプトを決めてというウォーターフォールをしなかったぶん、何度も成果物を出すだけに費用がかかるし、ウォーターフォールはそれはそれで決め細やかにやれば書類や資料が増えて費用がかかる。

ものすごーく当たり前の話なんです。

 ・戦略立案には金がかかる(一生懸命考えたり調査したりするから)
 ・ビジュアルデザインには金がかかる(そりゃ、一生懸命絵を描くんだから)
 ・大幅な修正には金がかかる(そりゃ、また作り直すんだから)
 ・MTGを何度もしたり、制作側が確認を何度も取れば金がかかる(プロマネの密度)
 ・いくつも書類や資料を出して、確認を取れば金がかかる(プロマネの密度)
   ・
   ・
   ・
   ・
 ・発注側が楽をすればするほど、金はかかる


あははw
いや、至極当然のことなんです。
モノを創ろうと思えば、誰かが「どう売るか」考えなきゃいけないんです。
モノを売ろうと思えば、誰かが「どう売るか」考えなきゃいけないんです。
発注者が自分で考えれば、受注者は「じゃ、それに合わせてコンセプト決めてデザインします」と。
発注者が考えなければ、受注者が考える。そしてその分の費用がのっかる。
発注者も受注者も考えなければ?そりゃ、誰も使えないサイトが出来上がる。

成果物の確認一つとってもそうです。
世の中には「何にもしなくてもWebサイトができる」と思っている人がいるのですが、そんなわけがない。
よく、結婚式なんかで夫婦の馴れ初めを新聞なんかにしているのを見ますが、あれと同じ。
新郎新婦が「じゃ、後はお願い!」って何にもしなかったら、そりゃできない。
できあがったものを都度確認したり、材料となる情報、画像、テキストなどを出さなきゃできない。

自分から積極的にすぐに全てを出せば管理の必要が無い(というか自分でやっている)ので安く済む。
何をどうしたらよいかわからず、原稿管理や指導をしてもらう必要があればそのシートを作ったり共有スペースをつくるのに金がかかる。
材料も出さずに制作会社に依頼すれば、全くの0からテキストや画像を考えることになる。ライティングや編集の費用がかかる。
何にもしないで、制作会社に編集の依頼もしなければ?そりゃ中身は何にもないサイトができあがる。


こういうことを全ての発注者が一個一個わかれ!という話ではないです。
そうではなくて、そりゃ知識が無ければ、勉強していなければ誰かがそこを補うわけでその分費用はあがるということぐらい、一般人の常識として認識しておかないと、結局後で損をするよ?ということを言いたいんですね。

「やっすい旅行プランで旅に行ったら、宿も交通も最悪だった!」
というのは、ある意味当たり前なんですね。
宿えらび、スケジュール選びの知識がある、勉強をしていればそれを避けられる。
わからないからまかせっきりになり、結局失敗する。

 ・「どうしたら良い旅行ができるだろう?」と、考えることを、誰がやるのかということ。
 ・良い旅行ができるまでに、どうやって段取るか、そのプロセスを管理するということ。

この二つのタスクを、どちらがやるかということです。
両方任せれば、当然高くなる。
自分で勉強して、そこを補えば安く済む。



■発注者叩きをしたいんじゃなくてw
当然、我々受託側がより安価により良いサービスを展開できるよう努力することは鉄板です。
ただ、上記のように発注側が全く勉強をせずに価格しかみずに依頼をしているようでは良いWebサイトは絶対にできないし、良いWebサイトができなければ結局損をするのは発注者です。そして、そのサイクルがグルグル回ってしまうと業界自体が不況に陥ってしまうし、もっと言うと大企業が相手にするような大手制作会社しか残っていけなくなる(いや、この不況でそこも厳しいようですが・・・悲しい・・・・)。

だから・・・

発注側は、
 ・「どうやってお客様にサービスをするのか」というサービス設計が必要なだという当たり前のことを理解する。
 ・サポートや管理、レクチャーにも費用が発生していることを理解する。
 ・楽をすれば費用があがることを理解する

受託側は
 ・「そもそもWebサイトとは」ということを、もっともっとたくさんの人が発信して理解して貰う
 ・費用の所在をきちんと明確に見積もりにする
 ・楽をさせない変わりにどんなバリューを提供できるのか考える


ということが、業界やひいては社会を守り立てるために凄く重要なんじゃないかと思っています。
良いサイトをどんどん創らないと日本全体の生産性はいつまでたってもあがらないし、
良いサイトをつくるためには、良いクリエイターが必要だし、
良いクリエイターを保有するためには良い労働環境が必要だし、
良い労働環境を構築するには発注者側の意識も絶対に必要だし。

これ、Web業界だけの話じゃないと思いますけどね。
僕も、どこかで誰かに発注する「消費者」ですから。
安くてよいサービスは、大概誰かの犠牲の上に成り立っている。
業者やメーカーが24時間365日対応して当たり前なんてことは絶対に無い。
なぜなら、僕の仕事がそうだから。
2010.02.08 Mon l プランニング・デザイン l COM(0) TB(0) l top ▲
いま、僕の仲間や後輩などを集めて勉強会というか交流会でもしようと企画しています。
なんでこんなことやるかというと、技術や知識のブラッシュアップは当然ありますが、それより何よりモチベーションアップのためです。

Webディレクターとしてたくさんの人と会い、尊敬できる人や、逆に反面教師にしなければならない人と出会い、そして専門学校で教育というものに少しでも携わってみて思うことは、人間にとって、クリエイターにとって最も大事なことはモノづくりやそれを繰り返すこと、何かを考えること、生み出すことに果てないやる気を持つことだと思うんです。情熱と呼んでも良いですし、パッションでもいいかもしれません。
続けることというのは、並々ならぬモチベーションが必要ですし、続けられることは確かに何よりも素晴らしい才能だと思います。しかし同時に、どんな技術や知識より何より獲得しがたいものだとも思うんです。

日本人はとかくメンタルや精神論に走りがちな割には、一番一番大事な「やる気」にフォーカスを当てることが少ないと思います。やる気なんかあって当たり前で、無い奴は悪みたいな。大人になってそれならまだしも、子供の頃から部活や勉強、学校に来ることに対する「やる気」があって当たり前という価値観があるような気がするんです。当たり前という前提価値観があるから、ともかく課題や目標を与えるだけ、数字を設けるだけになるんじゃないかと思うんです。

でも、実際は人間にとって「やる気」を持ち続けるというのは凄く難しいことですし、成功体験に大きく左右されるのも間違いありません。しかし、「成功体験」に頼り切るというのはつまり「できる奴しかやる気が出ない」ということを認めてしまっているんじゃないかと、僕は思います。そりゃね、好きこそものの上手なれというだけあって、上手い人、能力の高い人がよりその道にモチベーションが向くのは至極当然なことです。しかし、そういう人達だけで社会ができるわけではなく、「それなりの能力の人」も「それなりの成功体験」でやる気を持てて、伸びていけるようでなければ、生産性というか、本人の成果というか、そういうものは上がらないんじゃないかと思います。

「あいつはやる気がない」と切り捨ててしまうのは簡単です。
しかし、そもそもその「やる気」をどう組み立てて、本人の中から生み出させるかということを考えることこそが教育なんじゃないかと思うわけです。だって、やる気がある子は勝手になんでもやりますから。とくにこの情報過多の社会、たくさんの情報に埋もれ、昔のように「見えないからこそ、その先が見たいから頑張る」ということは無理なわけです。現実味の無い、ハリボテの見本をショーケースから見せられているようなもの。それがマーボー豆腐だと認識できても、全然美味しそうじゃない。美味しそうじゃないのに、でも、「マーボー豆腐」というものを知ってしまうこの怖さ。

そうすると「自分の少し先にいる人」との交流が凄く大事な気がするんです。
ロールモデルといってしまえばまさしくそれなんですが、ちょっと硬すぎるし、崇高すぎる。そんな大層なものじゃなくていいんです。必ず、誰かの目標となれるような人である必要は無い。そうじゃなくて、中学生と大学生、高校生と社会人若手、中学生と中堅社会人でもいいかもしれません。特に、何かを教えるとか、教科書を持つとかいうことではなく、どこかで定期的にコミュニケーションの場を持つ。それも、ゲームとかではなくディベートなど、きちんと意見交換をする場所。自分のちょっと先にいる人、かなり先にいる人、ずーっと先にいる人の姿を見せること、そこで何をしているのか、何を考え、どんな生活を営み、どういう価値観があるのかということを、もっともっと密接にやることで、未来を描きやすくなり、その中で自分の立ち居地、将来を見出せるんじゃないかと思うんです。

僕なんかは割とガキの頃から意志が強くて、やりたいこともなりたいものもあったんですが、それの方が特殊でしょう。情報に溢れてる割には、この先どうなったらいいのかわからない、どういう道があるのかもいまいち見えてこない中で「やる気を出せ」というのはやっぱり違うと思うんですよね。親や先生が「ああいう道がある」「こういう高校がある」っつったって、そんなもんでは大人同士でも伝わらない。「親と先生以外の大人と触れ合う」というありきたりなことも大事ですが、それをただ唱えているだけではダメなわけで。そもそも”大人”である必要は無いですし。

「自分が何をしたら良いかわからない」とか、僕からしてみれば「何言ってるの?自分のことでしょ?」とは思うのですが、それは僕の方が特殊であって(ラッキーだったんであって)、なかなか見えてくるものではない。たくさんの「モデル(notロールモデル)」をハリボテな見本ではなく、生で、リアルでコミュニケーションを取ることで、たくさんの”役に立つ”情報が入り、だからこそ自分が見えてくると思うんです。あんな仕事があるのか、こんな仕事があるのか、あんな高校にいけるのか、こんな大学にいけるのか・・・などなど。そういうものが見えないとやる気も何も無い。

で、これは別に子供だけに向けたことではなく、呼ばれて参加する側、つまり大人であったり、大学生、高校生、社会人1年生も、自分の通ってきた道を歩いている人とふれあい、何かを伝えることは絶対に役に立つはずです。自分の考えを整理しなければいけないし、決まりきった質問をしてくるわけではない「年下」「若年者」に対して、その場で答えなきゃいけない。そうやって整理したりアウトプットしたりすることで見えてくるものもあるし、また、普段触れ合うことの無い世代とのコミュニケーションにより新しい発見があるかもしれません(いや、絶対あると思います。教員という職をやって世代の違う人間と濃いコミュニケーションをすることで確実に見えてきたものがありましたから)。

何が言いたいかというとですね、別に就職という明確な目標がある(ロールモデルをつくりやすい)専門学生や大学生と社会人という狭い枠で言いたいのではなくて(そもそもそこでは、それ以前の教育機関に比べれば上下の交流はあるし)、中学や高校でもも、もっともっとそういうことをやるべきなんじゃないのか?と思うんです。ちょっと行ってグループディスカッションぐらいなら面白そうだし、僕は母校やお世話になった先生に呼ばれればいくらでも行きますよ。楽しそうじゃないですか。でも、そんな話そうそう来ないし。

学校の先生って、塾の先生とは違うし、「担任」というスタイルがあるじゃないですか。
塾と競って受験力を競うのもある程度必要だとは思いますが、それって学校がするサービスとしては安直過ぎると思うし、そればっかりやってるから「やる気」が育たないと思うんです。せっかく生活全般を密着できるからこそ、そこに財産があると思うんです。その財産とは、先生としての歴史です。ほら、毎年毎年卒業して「教え子」ができるわけじゃないですか。そのネットワークたるや大変な価値のあるものですよ。それを利用しない手はないじゃん!それ、サービスに活かそうよ!と思うんですね。

うーん、中学とか高校には、本当はこういうことが一番大事だと思うんですけどね〜。
2010.02.05 Fri l 教育 l COM(0) TB(0) l top ▲
前に似たようなこと書きましたが、あれは根本となる姿勢の話ですね。
こちらはそれを土台にした対応の話。

どうも、この国の人は「金を払ったら神様」みたいな価値観が強すぎる気がします。
そんなわけないじゃん。金払ったら払ったぶんだけの仕事をしてくれるだけ。別に人身売買をしたわけでもないし、相手の全ての時間を買ったわけでもない。

なのに「金払ったんだからこれぐらいのことはさせろ」とか平気で契約外のことを言う。全てを杓子定規に判断しろとは言わないけれども、下請けだろうが孫請けだろうが基本はビジネスパートナーであって、仕事や成果、商品に対する対価であるお金で繋がっている関係。新しいこと頼むなら新たに費用が発生するのが当たり前。

これは、僕が受託サービス側の人間だから言うのじゃなくて、僕とて下請けの制作会社に仕事を依頼することもあるし、Webとは関係ない業務でプロに何かを依頼することもあります。当たり前ですが。

「金払ってる側なんだからアイツらには○○させておけばいいんだ」とか右に左に振り回してもいいような発言をしたり、いくらでも罵声を浴びせてよいと思っている人がいる。上司とか同僚とか。はたまた、相手がどうしても打ち合わせの都合がつかなくなり、時間の変更をお願いしてきた相手に、変更後の時間だって予定なんかまるで入ってないのに、「約束を変更した」という事実だけで怒鳴りちらし、平気で縁を切ったりする。で、その割には、自分は我が物顔で遅刻する。なんでなんでなんで?としか思えません。遅刻も自己都合による予定変更も悪いこと。でも、そんなの発注側だって受注側だって同じでしょ

ビジネスパートナーなんだから、こちらが成果物、サービスを受けるなら、相手はお金という最もわかりやすい利益を産めないとだめ。そんなの当たり前ですよね。で、それは何も受注側だけの責務では無いと思うのですよ。だって、仕事を請ける側にだって本来は選ぶ権利があるはずなわけで。最終的に、受注側の利益にならなければ仕事を請けてくれなくなるかもしれない。お金を払ってるから何をしてもいいわけではないし、自分が怠慢になれば最終的な成果物はのクオリティは当然下がる。

要するに、下僕でも家来でもなんでもなくて、単に価値を交換しているだけじゃないですか。ですから、本来は対等なはずだし、相手にも拒否権はある(なかなか難しい話ですが・・・)。ということは、これをもっと掘り下げると、相手(受注側)にもこちらを評価するタイミングがあるってことですよね。いや、むしろ拒否権以上に存在するものかも。

するとすると、どこでどう評価されているかわからないわけですよ。
仮に僕がWebディレクターとしてフリーランスの方や制作会社に仕事を依頼したとして、僕がディレクターとして不義理な行動をしたり、理不尽な依頼、スケジューリングをすれば仮に文句を言わなかったとしても、評価は下がります。同じ業界の人達ですから、そんなことを飲んだ先とかで同業者に愚痴られれば、即座に弊社の評価は下がります・・・。恐ろしい・・・。同業者じゃなくても同じですよね。たとえ宅配やプリンタ管理の方だったとしても、その裏には会社があるわけで、いつ弊社のお客様になるとも限らない。

だから、媚びを売りまくれってことじゃないんですけどね。
どこにだしても、自分の対応が会社の名前と一緒に公になったときに、恥ずかしくない、後ろ指をさされない行動を心がけるべきだと思うんです。だから、相手が間違っているなら間違っていると指摘すればいいし、凄く忙しい中スケジューリングして、「もう他にはずらせない」と伝えてあったのに相手の都合でリスケになったのならクレームを出せばいい。逆に、たいした損害で無いのなら「あらら。しょうがないですね〜」と対応してあげればいいと思います。その対応に世間的な価値観として間違いが無いなら評価が下がるようなことはないだろうし、それでひどい評価をするような相手ならそれの方が間違っているとも思います。

発注側だから王様なんてことは絶対に無いし、相手が下僕だということもない。
単なるビジネスパートナーであり、価値の交換相手だからこそ、人として丁寧に対応し、相手もこちらも気持ちよく仕事ができるようにコミュニケーションを取る、リスク回避をするというのは、社会人として当然の行いじゃないでしょうか。

人として当たり前に、相手に優しさを持って対応しましょうっていうだけなんですけどね。

2010.01.14 Thu l 日々雑感 l COM(3) TB(0) l top ▲
twitterには書きましたが、新年早々インフルエンザにかかってしまいました・・・。

三日、四日と寒気、節々の痛み、めまい、咳があり、市販の薬を買って寝込んでいました。

五日の朝起きたら、寒気はなくなってました。
が、少しだけめまいがするのと、咳は出まくる。間接も少しだけ痛い気がする。
四日まで病院が休みだったので、病院に一度も行けてない。完治してないので、午前休とって病院に行ってみてもらいました。


インフルエンザ・・・orz


症状も軽くなっていたので先生も「たぶん肺炎の治りかけだと思う」とおっしゃっていたのですが、検査結果が出てあちゃーと。

五日間は外出禁止。

大好きな名波の引退試合にはギリギリ間に合いました・・・(泣)

幸い、動いてる案件はほとんど年内に片付けたので、仕事はありません(出勤してりゃ新しい案件が来ただろうけど)。僕はご存知の通り我社WEBをほぼ一人で持っているので、僕がいなきゃできない案件しかありません。昨年内だったらアウトでしたね・・・・。クライアントから間違いなくクレームか、外注に投げて大赤字か。幸運といえば幸運です。(ポジティブw)

仕事もないし、昨年孤軍奮闘して頑張ったので、長めに正月休みをもらったと思ってダラダラDVDでも見ます。


しんどいっすねぇ。
2010.01.06 Wed l 日々雑感 l COM(2) TB(0) l top ▲