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ビジネスとは金儲けの仕組みづくり・・・・だけではないんだ!!!!!!
と、最近は思うようになりました。
いや、金儲けの仕組みができてなきゃビジネスとは言わないんですけどね。
でも、もっと大事な、もっと根底に流れるべきことがあるんだなと最近思います。
すると、今も昔も、よき経営者が言ってることって同じで、ああ、そういう意味だったんだなって本当の意味で理解できてきた気がします。


ずいぶん前にのエチカの鏡に餃子の王将の社長が出ていて、感動しきりだったんです。
もう、僕が思う経営者、上司、上に立つものの一番大事なものをガッツリ持ってる。

 ・いかに社員にやる気をださせるか
 ・会社を愛してないと、愛着がないとできない
 ・いつだって従業員のことを考えている


会社というものがなんなのか、ビジネスというものがなんなのかということを、本質を理解してるんだなぁと思いました。僕は「会社とは幸せを循環させる心臓」と思っているのですが、「経営」とはその仕組みをつくることなんだなぁと思います。

「ビジネス=金儲けの仕組み」
というのを、全く否定はしないし、たぶん数年前の僕にはそれが全てでした。
金の亡者のような企業を否定もしなければ、それにまい進できない社員というのを罪だと扱う経営者にも違和感はなかった。けれど、それが少しずつ変わって、デザインという行為、いや、本当の意味での「クリエイティブ」というものに携わって、企業のコンサルティングをしているうちに違和感が出てきました。

「ビジネス=金儲けの仕組み」というのは、側面でしかないんだなぁと。
企業のブランディングというものを考えるようになって、「会社は幸せを循環させる心臓」という一つの定義を持つことに至ったのだけど、つまり企業の存在価値というものそのものがもう、誰かの幸せのために成り立ってるんだよなぁと思います。
王将で言えば、餃子を愛する人がいて、餃子をつくる、料理をもてなすことで生きていきたい人がいて、餃子を食べたい人がいて。それぞれが、それぞれの幸せの場所で何かをなすために、大きな大きな「王将」という組織が成り立っている。王将が無ければ全国で同じクオリティの安くて美味しい餃子は食べれないし、それはつまりほんの少しの、その1店舗に訪れる人の幸せ、その1店舗で働く人の幸せしか保つことができない。

ビジネスとは金儲けの仕組みづくりなのだけど、それは絶対的でありながら手法の一つでしかなくて、目的ではないんですよね。王将で言えば、目的は「美味しい餃子を売ることでたくさんの人の幸せを生み出すこと」なんですよ。そのためには、当然従業員のための賃金も、組織を維持するための資金もいる。だから、お金を取る。何かを与えているのだから、お金をいただくのは当たり前。

そう、だから、ビジネスとは「幸せを循環させるために金儲けの仕組みをつくること」なんですよね。正確には。どちらがかけても、それは良いビジネスとは言えなくて、やはり両輪がきちんとまわってこそ。そういう意味では情熱だけの経営者も、ロジックのない経営者もダメなんでしょうね。

だから、ブラック企業なんてのは結局従業員の幸福を守れずに、従業員の不幸を売り物にして成り立っているダメビジネスの典型なんですよね。従業員だって、社長だって社員の一人。どちらが不幸になってもいけない。こと日本の経営者というのは社員を「雇ってやっている」というようなスタンスで仕事をしていることが多いけど、大間違い。数に勝る社員がいなければ、社長だって生きていけない。むしろ、会社を支えているのはたくさんの社員だったりするわけで。僕が以前に在籍していた印刷会社や古い体質の企業なんて、その典型ですね(笑)経営者から管理職まで偉そうにして、従業員をただの労働力だとしか思ってない。ふる~い日本の組織体質をもったままの時代遅れなダメ組織の典型。

そう考えると、たとえばサッカークラブを持っている企業というのも説明がつくんですよね。
前までね、不思議だったんですよ。大して儲けにもならないプロスポーツクラブを所有することに、それほどの利益があるのかなって。莫大な金がかかるし、いくら企業名が出て広告効果があるとは言えど、商品を直接売り出せるわけではないし、企業名よりもクラブ名や選手名が前面に出てくる以上、広告効果がそれほど高いとも思えない。

でも、違うんですよね。
単なる企業名や商品名認知をするなら、CMでも一本うったほうが効果がある。でも、TVCMにはない効果が、クラブ経営にはあるんですよね。TVCMを見ても、たとえば「あのバラエティ番組のスポンサーは○○だよね」とはならない。せいぜい、CMに出ているタレントのイメージが付加されるぐらいでしょうか。でも、スポーツクラブにはそれがある。ガンバの親会社はパナソニックだし、グランパスの親会社はトヨタ。企業名をそこまで出していないクラブもあるけど、企業抜きには語れない。

そこには、ブランディング効果があるんですよね。
クラブ経営というものを通した哲学、価値観を言うものを世間に打ち出すこともできるし、地域貢献という形に還元することもできる。結局、企業も価値観、人としてどうなのかを問われる時代で、安けりゃよいってもんじゃない。真摯にお客様と向き合っているかどうかということを問われている中で、クラブ経営というのはそういうものを表現する機会を生み出してくれる。クラブが低迷しているとき、成長しているとき、頂点に立つとき、資金というわかりやすい協力から、それを捻出する経営哲学が表現されますから。

やっぱり、今でも僕は10年前のあの忌まわしき事件からANAには少なからず不信感を抱いているし、結局金儲けの道具だとしか思っていなかった読売を僕は心のそこから受け付けない。逆にどんなに苦しくても手放さなかったパナソニックや三菱には尊敬の念を抱いていたりもします。一サッカーファンである僕ですらそうなのだから、そのクラブのサポーターともなれば、企業としてのブランディング効果はきっと計り知れないものがある。そして、大企業であれば何万人といる自社社員に対するブランディング、幸福への貢献というのも忘れてはいけない。自社の名前を背負ってピッチに立つクラブがあるということは、これほど幸せなこともないんじゃないかと思う。僕なんかは、そんな境遇にいたこともなく(Web制作会社在籍時代にほんの短い間だったけど某F1レーサーチームのパートナーになったことぐらいかな)、自県はJリーグ発足から常に最大クラブ数を誇る神奈川にいながら、逆にそれが足かせとなったのか思い入れのあるクラブはない。僕がその名前やユニフォームを見ただけで心が奮い立つのは今も昔も日本代表だけ。それは、「Jリーグ」というものを「我々の所有物だ」という意識があって、それの選抜チームだからというのが大きいのだけど、自社のサッカークラブがあるってそういうことなんだよなーと思うとうらやましくてしょうがなかったりします。自分の高校が全国大会に出るような、そういう感じですかね。


ボランティア組織に対して安易に「だったら金取るなよ」とか「所詮金儲け目的」とかすぐに言い出しちゃう人がいるんだけど、それって自分は全然違う世界にいるところから文句言うだけの、仕組みとか組織とか何にも考えないバカの言うことだと思いますね。ボランティアやる人だって生きていかなきゃいけないっていう当たり前のことがわからないってことだから。
2010.02.16 Tue l 日々雑感 l コメント (0) トラックバック (0) l top