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前のエントリに書いたとおり、007ゴールデンアイを友人たちとやりました。
もう、すんげー面白かった!!!w
このゲームを創った人はどこまで計算で創ったんだろうか。
凄すぎる。システムやバランス、笑いとリアルのバランスなど、もう本当に凄い。
当時からして、すでにそこまで美麗なグラフィックじゃなかったのに、それでも超面白かった。
4人対戦のものは他にもあるし、ボンバーマンだっていただきストリートだって面白い。
でも、007ゴールデンアイはぜんぜん違う面白さですね。
で、やっぱり思ったのが「隣にプレイヤーがいることの楽しさ」なんですよ。
隣にいて、そのライバルプレイヤー(時には味方でもあるんだけど)の画面も、同じ画面に表示されるから、「うぉ!!!いま助けに行く!」とかできるわけですね。別にボンバーマンでもできるんだけど、基本的に1画面1MAP全て収まってるから、敵も味方も見つけて当たり前。007ゴールデンアイは画面を4分割した中でそれぞれがゲーム内の施設を歩き回るので、MAPを覚えていない限り、敵がどこにいるかはわからないし、そもそも本来は自分の画面を中心に見ながら進めるものがだから、「他のプレイヤーがどこにいるか」ということを常に把握できるわけじゃない。でも、だからこそコミュニケーションが生まれるし、物陰に隠れるというのもできるけど、でもできなかったりもするw(物陰から見られていたら、その相手プレーヤーの画面に自分が映るから、注意していれば気づくことも可能だから)。
今ならネット対戦も可能だろうし、マイクでもつけりゃコミュニケーションも可能だと思います。画面を四分割も可能だろうし。けれども、「隣にいて、ワイワイ叫びながら、チーム戦や個人戦の戦略を練り、トラブルに対応する」というのが楽しいんですよね。そこには、ローカルルールも生まれるし、小学生じゃないんだからある程度の「やってはいけない行為」というのも出てくる。あえてそれを破るという大人のドロ沼感を表現することもできるw
忘れない:「戦闘ゲーム場 認めない」教え子亡くした思い届く(八王子スーパー強盗殺人)
007ゴールデンアイって、スパイゲームなんだが、銃で人を殺すタイミングなど無数にあり、対戦になれば基本的に「相手を何回殺したか」がスコアになるゲームなんですよね。だから、こういうゲームもたぶん批難されちゃうじゃないのと思うんです。でも、それって何か違うんじゃないの~?と思うわけですよ。銃のゲームが教育に悪いとか、そういうことじゃないでしょう、と。
僕は4人組でそれこそこのゴールデンアイを高校時代に何百時間とやりました。
でも、人を殺そうとは全く思わないし、むしろ殺したくない。
一応、ちゃんと正社員としてお仕事もしてるんですが。
「人を殺すゲーム」=「人殺しを容認する人格形成」ってのはいくらなんでも話が飛躍しすぎで、そして一番末端の部分しか見て無いじゃん。大事なことは、きちんと情操教育をすることであり、「ゲームはゲームなんだ」という判断力を養うことでしょう?だいたい、確かにゴールデンアイやメタルギアソリッドは過激だとは思うけれども、そんなこと言ったらマリオは亀を踏み潰すし、パンチもしますよ。そんなに悪そうに見えない亀達なのに(笑)子供達が亀を虐待し出したら「マリオの影響。マリオ販売禁止にすべき」とか言うんですかね~。
ずいぶん前に、少年グループの犯罪があり、彼らはチームを組み、役割を決め、武器を選んで計画的に行っていたという新聞記事がありました。で、それはドラクエの影響だと言い切ってました。ええええー、それ、いくらなんでも強引過ぎるでしょー、と当時思いましたね。だって、目的のために仲間を集い、役割を決め、道具を選ぶことは別に悪いことじゃないですから。そこじゃないでしょ?問題はっていう。
007ゴールデンアイは確かに、人殺しゲームです。
でも、所詮はゲームだし、そこには人間としての駆け引きやコミュニケーションがなければ成立しないことがたくさん含まれています。人数を集めてボール蹴りなど難しい時代ですから。子供はやっぱり外で皆で遊べよ~とは思いますが。しかし、ゲームにだってルールはあるし、そこで生まれる人間関係というのもあって、特に007ゴールデンアイはそういうものが副産物的に育まれていたりします。だって、ゲームの中のキャラクターを殺してもなんともないけど、そこで苛めればコントローラーを握っている彼を傷つけることは容易にできるし、信頼関係や、情の交換なども発生する、ある意味一つの社会が発生する。ネットゲームなんかよりずっと健全な交友関係が築けたりすることもあったりします。
安易に、表面に出たものだけを取り除いたって問題は解決しないですよね。
子供が、どうしてそうなってしまったのか、どうして過ちを犯す選択をしてしまったのかということこそ目を向けないと。
もう、すんげー面白かった!!!w
このゲームを創った人はどこまで計算で創ったんだろうか。
凄すぎる。システムやバランス、笑いとリアルのバランスなど、もう本当に凄い。
当時からして、すでにそこまで美麗なグラフィックじゃなかったのに、それでも超面白かった。
4人対戦のものは他にもあるし、ボンバーマンだっていただきストリートだって面白い。
でも、007ゴールデンアイはぜんぜん違う面白さですね。
で、やっぱり思ったのが「隣にプレイヤーがいることの楽しさ」なんですよ。
隣にいて、そのライバルプレイヤー(時には味方でもあるんだけど)の画面も、同じ画面に表示されるから、「うぉ!!!いま助けに行く!」とかできるわけですね。別にボンバーマンでもできるんだけど、基本的に1画面1MAP全て収まってるから、敵も味方も見つけて当たり前。007ゴールデンアイは画面を4分割した中でそれぞれがゲーム内の施設を歩き回るので、MAPを覚えていない限り、敵がどこにいるかはわからないし、そもそも本来は自分の画面を中心に見ながら進めるものがだから、「他のプレイヤーがどこにいるか」ということを常に把握できるわけじゃない。でも、だからこそコミュニケーションが生まれるし、物陰に隠れるというのもできるけど、でもできなかったりもするw(物陰から見られていたら、その相手プレーヤーの画面に自分が映るから、注意していれば気づくことも可能だから)。
今ならネット対戦も可能だろうし、マイクでもつけりゃコミュニケーションも可能だと思います。画面を四分割も可能だろうし。けれども、「隣にいて、ワイワイ叫びながら、チーム戦や個人戦の戦略を練り、トラブルに対応する」というのが楽しいんですよね。そこには、ローカルルールも生まれるし、小学生じゃないんだからある程度の「やってはいけない行為」というのも出てくる。あえてそれを破るという大人のドロ沼感を表現することもできるw
忘れない:「戦闘ゲーム場 認めない」教え子亡くした思い届く(八王子スーパー強盗殺人)
「よりによって八王子に作る話は見過ごすことができない」「人殺しゲームが面白いと教えるのですか。私は認めない」--。近隣住民約250人が聴き入る中、涙の訴えは10分間に及んだ。
計画はその後、住民の猛反対で白紙になった。「『銃は怖いもの』と発信し続けることが、銃で理不尽に娘を殺された親、同級生を奪われた生徒を見てきた私の義務です」。渡辺教諭は言う。
007ゴールデンアイって、スパイゲームなんだが、銃で人を殺すタイミングなど無数にあり、対戦になれば基本的に「相手を何回殺したか」がスコアになるゲームなんですよね。だから、こういうゲームもたぶん批難されちゃうじゃないのと思うんです。でも、それって何か違うんじゃないの~?と思うわけですよ。銃のゲームが教育に悪いとか、そういうことじゃないでしょう、と。
僕は4人組でそれこそこのゴールデンアイを高校時代に何百時間とやりました。
でも、人を殺そうとは全く思わないし、むしろ殺したくない。
一応、ちゃんと正社員としてお仕事もしてるんですが。
「人を殺すゲーム」=「人殺しを容認する人格形成」ってのはいくらなんでも話が飛躍しすぎで、そして一番末端の部分しか見て無いじゃん。大事なことは、きちんと情操教育をすることであり、「ゲームはゲームなんだ」という判断力を養うことでしょう?だいたい、確かにゴールデンアイやメタルギアソリッドは過激だとは思うけれども、そんなこと言ったらマリオは亀を踏み潰すし、パンチもしますよ。そんなに悪そうに見えない亀達なのに(笑)子供達が亀を虐待し出したら「マリオの影響。マリオ販売禁止にすべき」とか言うんですかね~。
ずいぶん前に、少年グループの犯罪があり、彼らはチームを組み、役割を決め、武器を選んで計画的に行っていたという新聞記事がありました。で、それはドラクエの影響だと言い切ってました。ええええー、それ、いくらなんでも強引過ぎるでしょー、と当時思いましたね。だって、目的のために仲間を集い、役割を決め、道具を選ぶことは別に悪いことじゃないですから。そこじゃないでしょ?問題はっていう。
007ゴールデンアイは確かに、人殺しゲームです。
でも、所詮はゲームだし、そこには人間としての駆け引きやコミュニケーションがなければ成立しないことがたくさん含まれています。人数を集めてボール蹴りなど難しい時代ですから。子供はやっぱり外で皆で遊べよ~とは思いますが。しかし、ゲームにだってルールはあるし、そこで生まれる人間関係というのもあって、特に007ゴールデンアイはそういうものが副産物的に育まれていたりします。だって、ゲームの中のキャラクターを殺してもなんともないけど、そこで苛めればコントローラーを握っている彼を傷つけることは容易にできるし、信頼関係や、情の交換なども発生する、ある意味一つの社会が発生する。ネットゲームなんかよりずっと健全な交友関係が築けたりすることもあったりします。
安易に、表面に出たものだけを取り除いたって問題は解決しないですよね。
子供が、どうしてそうなってしまったのか、どうして過ちを犯す選択をしてしまったのかということこそ目を向けないと。