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ただ、末端の部分でも何でもそれがないと話にならないのでは?と思うのですよ。
どんなに技術やビジュアルの勉強したって、「実現したいもの」が見えてない、自分の意思の中にそれが無いんだったら、何を創っても無駄じゃない?と思います。
教員時代に、学生の作品発表をいくつも見たのですが、やっぱりそれが欠如していることが本当に多くて、それがこの国が抱える「デザイン」というものに対する見方、ひいては「何のためにそれをするのか」という目的に対するアプローチというスタイルの無さを垣間見た気がします。
「Aというイラストレータが好きだからその人を真似てみた」
「それで、それを活かして絵本をつくってみた」
「こんなデザインです」
「1月に発表して成果とします」
「Bさんという小説作家が好きだからその人の小説を絵本にしました」
「ターゲットは20代女性です」
「コンセプトはお洒落なデザインです」
「絵本はこんなデザインです」
「中学生が修学旅行で使えるレクレーションツールを創りました」
「ターゲットは中学生です」
「トランプのデザインをしました。かっこよく創りました」
「ブックカバーを創りました」
「今後は商品展開としてWeb上でダウンロードできる仕組みをつくります」
こういうのがガンガン出てくるところがあって、もうそうなるとコメントに困ってしまうんですよ。
皆、抱えている問題が同じだから。
それで、君たちは一体何をしたいの?
ということが全く見えてこない。というより、無い。
教員というものは、と、語れるほどの教員暦もないので、あくまで先輩として何かを伝えるというスタンスで考えると、僕はそれこそここを叩くべきなんじゃないの?とずーっと思ってました(僕の管轄であるWeb科の学生には嫌というほどこれを伝えてきましたよ)。
「Aというイラストレータが好きだからその人を真似てみた」
「それで、それを活かして絵本をつくってみた」
「こんなデザインです」
「1月に発表して成果とします」
たとえばこれですが、目的が無い。
いや、目的というほど高尚なものでなくても良いのかもしれません。
これを本当にやろうと思ったら、イラストレーターとしての市場調査が必要だし、需要、個性の調査、ライバルのイラストレーターの調査、ターゲットとなるクライアントの調査、テイストから、手法、売りまでやるべき調査はたくさんあると思うし、絵本を作るというなら作成途中での評価や、その後の成果測定というのもある。
けれども、それを全てやっていては時間が無い
学生時分で(しかも2年制と時間の無い専門学校生の場合)、やはりどこかに絞るべきだと思うんです。他はおままごとのレベルに落としてでも。「その過程で何を見て、何を知り、何を身に着けたいのか」ということを明確にして、取り組まないと結局何も得られなくなったりする。まあ、だからプロではないのだから全てをきちんとなぞる必要などないと思うということです。
でも、それは時間的な問題や、学習という姿勢の話であって、「何を実現したいのか」というものが欠如していたら、結局何にもならんし、それはもうクリエイターの卵ですらないと思うのです。
・Aというイラストレータをなぜ真似たいの?
・Aというイラストレータをもっと世間に認知させたいの?
・Aというイラストレータの技法を学んで自分に活かしたいの?
これ、全然違う話だと思うんです。
認知させたいのなら、イラストレータが仕事をする場というものを研究し、いつ、どんな風にイラストが使われ、どんなときに人はそのイラストを気に入るのかということを知らないといけない。どうやったら、たくさんの人がそのAというイラストレータを知ってくれるのか。そのためにはどんな冊子を、どんなポスターを、どんなWebサイトが必要なのか。これだって、立派なデザインです。
技法を学びたいというなら、そのAというイラストレータの特徴、他より優れているところ、向いている場所などを研究する必要がある。アイデンティティの研究ですね。それを、自分の個性にどう組み込んでいくか。そして何より「どうなったら、自分の実力がアップしたのか」という指標が必要になる。
学生ですから、儲ける必要はないし、全てがすべてビジネスライクである必要は無いと思います。研究のクオリティや成果については、僕はそれほど高い必要は無いと思いますが、それはもう教員のさじ加減一つとも思います。ハードルの高さですね。しかし、「何を実現したいの?」ということは、これはもう絶対はずしてはならないと思うんです。というか、それがないデザインって一体何のためにやるの?という感じで。
市場調査や、成果測定が甘くてもいい。
しかし、どこかに力点を置いて、「自分は何を実現したいのか」が無いと、はっきり言って評価のしようもないじゃないですか?「絵本作ったから見てください」って言われても、「え?何のためにつくったの?」っていうのが無いと、何もいえない。「子供に戦争のことを判りやすく伝えたい。もっともっと戦争について考えるきっかけを作りたい」っていう「実現したいこと」があってはじめて「うーん、それならここはもっと○○にするべきだろう?」と言える。それなしに、明るいだの暗いだの、位置が高いだの低いだの言ったって何の意味もないし、根拠も無い。
「成果物ありき」「能書きはいい。創ったものを見せろ」みたいなことを言う大人って、結構いるんです。
でも、それってどうなの?と僕は思います。
そんなことしたって、僕ら大人、先駆者がずーっとその学生についてあげられるわけではない。そして、僕だって完璧ではないし、全てにおいてスペシャルなわけでもない。そんな僕が、小手先のビジュアルデザインテクや、細かい部分を指導して一体何になるんだろう?と思うんです。だって、いずれは自分の手を離れて一人でクリエイターとして頑張らなきゃいけないのに。
大事なことは、手法を教えることじゃなくて、哲学を教えることだと思うんです。
「君は、それで相手に何を受け取ってもらいたいの?」
「どんなことを実現したかったの?」
いつだって、どんなときだって、常にこれを起点に話をするべきだと思います。
出来上がって成果物をきちんと評価することも大事だけど、それ以上に、
それを生み出したその学生の中身を評価してあげることの方が大事だと思います。
成果物は表現された一つのものに過ぎないもの。
それを生み出した、根本を叩かないと、成果物はいつまでたっても変わらない。
だったら、クリエイターにとって何より必要な「実現したいことをきちんと持つこと」を養うことがまず先決だと思います。