しばらく空いてしまいました。
twitterのせいだな!www

タイトルは日本中の人が知っているであろう、偉大なサッカー選手ですね。
最近、戦力外通告を受けて切ない限りですが、現役続行してくれるようで、うれしいです。
J2でもいいから、まだまだその勇姿を見ていたいです。

ゴン中山って、凄いと思うんですよね。
とりあえずサッカー選手としては下手くそだしw、驚異的なスピードがあるわけでも、パスがうまいわけでも、特段にヘディングがうまいわけでもない(いや、うまいですが)。その運動量や飽くなき精神で敵陣に身を投げ、得点を取る。

でも、彼に魅力を感じるのはそういうところじゃなくて。
全盛期のジュビロでは、ゴンが途中で試合に入ると流れが変わる。
これが、ものの見事に変わる。別に、物凄いプレーをするわけじゃない。
でも、ジュビロの、一人ひとりの動きが変わるんですよね。
もう、ピッチで起きている物理的なことは、理屈では表現できないようなものです。
各選手が、コンマ何秒かの違いなんだろうけど、反応が早くなり、ダッシュが多くなり、ボールへのアプローチが早くなる。

「中山さんが入ったなら、なんとかなる」

ジュビロの全員が、何かそういうマインドを持っていたような気がします。
そういうマインドをゴン中山から受けていたというか。
ジダンが入る、中村俊輔が入るということで流れが変わることはある。
でも、それはまず彼ら個人の力があり、それにより試合が落ち着くという方が適切だと思います。ジダンの圧倒的なキープ力、類まれなるテクニックしかり、中村俊輔の老練な試合の読みとパスセンスしかり。それのおかげで、ゲームが動き、安定する。

ゴン中山って、そういうことできない。
運動量でかき乱すことはできるけれども、そういう選手は他にもいる。
でも、ゴン中山は、ピッチに入るだけで、立つだけで、周りの選手が影響を受け、何かを感じ、明らかにモチベーションや動きが変わる。なぜか、ジュビロの攻撃が活性化して、活き活きとプレーしだす。

ゴン中山の魂のなせる業なんだと思います。
それが、具体的になんなのかを突き止めるのは難しいです。
でも、ともかく、彼の人間性、それを土台とした決してあきらめないプレースタイルなんだと思います。

思うに、僕の理想とするディレクターやプロデューサーって、そういう人です。
熱い魂を持ち、決してあきらめず、何より、プロジェクトメンバーに熱を与えられる人。
それは、ただ単にクリエイティブの熱い魂を持っているということではなくて。

「あの人のディレクションなら楽しそうだ」
「あの人となら、良い仕事ができそうだ」
「あの人のディレクションなら、気持ちよく仕事ができそうだ」
「あの人の下で制作をするなら、一生懸命やりたい」
「あの人のディレクションならなんとかなりそうだ」
「あの人となら、面白いものをつくれそうだ」

その人がプロジェクトにいることで、気持ちがあがるような、
ゴン中山みたいなディレクターになりたいです。
2009.11.17 Tue l ディレクション l COM(0) TB(0) l top ▲
検索エンジン的にはこれ、それなりに大事なんですよね?
SEOコンサルではないので、詳しいことはわからないのですが。
しかし、未だに「トップページから3クリック」みたいなことを提唱しているWeb屋さんがいて、
で、その人が我が物顔で見せてくれた自作サイトが、もうリンクの嵐になっていて、
それが全ページ同じナビゲーションなのですよ。

うーん、それは違うんじゃないのかな〜と思います。
3クリックルールにこだわるあまり、Webサイト全体の階層を浅くして、リンクの嵐をつくるって、それもうもはや「デザイン」でもないんじゃないの?と思ったり。

あのー、携帯電話っていまものっすごい機能があるじゃないですか。
それをつくっているメーカーの人と知り合いなんですが、開発者が「機能は出来る限り豊富にあって、たくさんの中から選ばせるのが良い」みたいなことを言っていたらしいんですが、それと同じだと思うんですよね。それ、違うでしょって。だって、その人にとって不要なものはやっぱり不要だもの。いらないもの。いらない機能なんて、いらないんですよねw。

いや、だから、機能を制限すれば良いというわけではなくて(ターゲットによってはそれも必要だと思いますが)、それをいかに整理して、それを求めている人だけがそこにたどり着くようにするかということを設計してこそ、はじめて「デザイン」って言えるんじゃないでしょうか。

3クリックというなら、重要視すべきは「使う人に無駄にクリックさせない」ということであって、そういう意味で言えば、「トップページからの階層を浅くする」ってのはどうでもよくて(っていうかユーザが階層を意識して使うわけじゃないですしね)、「検索エンジンから訪れたページから3クリック」というサイト構造やUIを提供することこそデザインじゃないかと思うんですよね。

もう、本当に簡単な話ですが、
「ユーザが”その時”求めているナビゲーション以外は害でしかない」
だと思っています。だからといって、それごとに出し入れしてたら学習できなくなりますが。

でもでも、「トップページから全てのコンテンツを3クリックでたどり着けるようにする」って、居酒屋の電子パネルメニューで言うと、

トップ → アルコール(一覧) → 焼酎(一覧) → 商品決定

となるわけじゃないですか?
えー、でも、それ、焼酎が少ないなら別にいいんですけど、芋とか麦とか米とか泡盛とかある場合、少なくとももう1ページ必要ですよねぇ。いきなりドバーっと全部見せられても・・・。

やはり、大事なのはユーザの使い方、利用シーンをきちんと描き、それに合わせて設計することであって、「全て3階層で制作する」っていうのは、それはデザインでもないし、クリエイターとしても思考停止してるんじゃないかなーと思います。
2009.11.04 Wed l 情報デザイン l COM(2) TB(0) l top ▲
という書き込みをtwitterとか、その他ブログで散見して。
これって、おかしいんじゃないの?と思います。
ワイヤーフレームの”前に”ペーパープロトタイプをつくるのがおかしい、
その順序、フローはおかしい、と言いたいわけではなくて。

「ワイヤーフレームの前にペーパープロトタイプをつくる」というこの
表現というか、言葉としておかしいんじゃないの?と思います。

 ・そもそもワイヤーフレームを一体何のために創るのか。
 ・そもそもなぜペーパープロトタイプを創るのか。

ってことがきちんと整理されてないんじゃないかなぁと思います。
制作会社サンによっても違うのでしょうが、ワイヤーフレームというのは基本的には
「何をどこに置くのか明確に定義したもの(もしくは検討するためのもの)」だと、僕は思っています。そこにデザイン的要素はなくあくまでもレイアウト、画面構成要素を検討し定義するためのもの。
この根底に流れるのは、基本的には一つの問題を回避するためのものだと思っています。

「ビジュアル(装飾・配色)」と「画面構成・配置」を一緒に議論しないため。

いきなりPhotoshopでデザインしたものを提出していては(対クライアント、対制作側メンバーともに)、この二つを混同します。そもそも、これは実は別個に検討すべきものだと思うというのが、僕なりの持論だったりするのですが。

「何をどこに置くのか」ということとと「置いたものをどうみせるか」というのは、別の話だと思っています。まず、「何をどこに置くのか」が決まらないと、「それをどうみせるか」なんて決まるわけもないし、話しても無駄だとすら思います。だって、不要なものまで話をしているのだから。
というか、もっと言うと、「何をどこに置くのか」というのも実は混同していて、本来は・・・

 「何を置くのか」
 「どこに置くのか」
 「どうやってみせるのか」

であるべきかなぁと思います。
これ、それぞれ対応付けをすると

 「何を置くのか」・・・コンテンツリストやサイト構造図
 「どこに置くのか」・・・レイアウトワイヤーフレーム
 「どうやってみせるのか」・・・基本デザイン案

となるのかなぁと。
プロジェクトの大小によって、もっと細かくなると思いますが。
まあ、基本的なワークフロー(と、そのタイミングでのアウトプット)として。

ペーパープロトタイプというのは、これは本来出来上がったものを指すのですよね。どちらかというと、「ペーパープロトタイピング」の方が、制作に落とし込む表現としては適切かと。で、そうするとおかしな話になるわけですよ。「じゃあ、ペーパープロトタイピングって何をするものなの?」という。一番間違いのない答えとしては「ペーパープロトタイピングでペーパープロトタイプを創る」ってのが、100%間違いないのですが、それじゃあねぇ?www。

「プロトタイピング」というのは言うなれば「模型をつくる」ということですよねぇ。プロトタイプはだから「模型」になるんだと思いますが。「試作品」とか「試用品」でもいいんですが。それを「紙で」つくるから「ペーパープロトタイピング」なわけですよね。紙で作るメリットというのは、やはり何より「手軽にできる」ってことでしょうか。手軽にできるから作業時間が減る・・・というのもまあ、その通りだと思いますが、手軽にできる作業で「プロトタイピング」を行うことが大事ですよね。完全に材料を揃え、時間をかけて設計した後にあらゆることを確認していては、欠陥が見つかった時にまた作り直しになってしまう。だから、それを手軽に行える「紙で」「プロトタイピング」することにより、欠陥を予め見つけたり、はたまた気付きを得る場を設けるということが大事、ですねぇ。

で、このWeb制作における「ペーパープロトタイピング」って具体的に何をするんですか?というのが上記の「じゃあ、ペーパープロトタイピングって何をするものなの?」という問いのもっと深い回答。たいてい、ユーザーとのインタラクションをテストしたり、検討したりする作業に使われることが多いんじゃないかと思います。その場合、ビジュアルデザイン要素を排除して、枠や線、箱を置いた状態のものをポストイットや鉛筆などで描いたものを使うというか、それが「プロトタイプ」とか「モックアップ」とか言われるものになるんじゃないかと。

それ、ワイヤーフレームじゃないんですか?

って思うんですよ。
ワイヤーフレームだってそういうものでしょ。
PowerPointやイラレでつくられたものを「ワイヤーフレーム」と指すなら、それこそ「何を創っているのか」という意識が欠如し、本来合意形成や検討のために使われるという目的があるにもかかわらず、そのものを創ることが目的になっちゃってるんじゃないかと思うんですね。PowePointで創られたワイヤーフレームだって、結局検討用、合意獲得用に創られたものであり、それはWebサイトそのものではない(当たり前ですが)。ということは、これだってある意味立派な「プロトタイプ」だと思うんですよね。

ワイヤーフレームを何で作成すれば良いかと言うのは「何をどこに配置するか」という資料を「誰に」、「どうやって」見せるのかという「目的」「実現しなければならないこと」があって、それに沿って創るべきだと思います。だから、本来「ワイヤーフレームを何で創るべきか」という議論は、ケースバイケースというのが正解であると思うし、そんなものは制作会社ごとのワークフローによっても変わるべきだと思います。というか、「ワイヤーフレーム」自体、何の合意を取るためのものなのかということがブレていたりしますしね。

しかし、ワイヤーフレームの大目的である
「何を、どこに配置するのか」
ということは変わらないと思うんです。
それを使う相手やタイミングによって、大目的にぶら下がる細かな目的が変わり、それによって表現内容も変わっているだけで。プロトタイプというか、完成するWebサイトの事前段階資料であることに変わりはない。であるならば・・・

「ワイヤーフレームの前にペーパープロトタイプをつくる」
って
「下書きの前に手書きをする」
って言ってるようなもんだと思うんです。
それ、おかしいですよね?
「下書き」というのは、フロー(手順)の中の一つ。
「手書き」というのは、表現するための物理的手段の一つ。
だから、「ワイヤーフレームをペーパープロトタイプでつくる」というのが、本来の正しい表現じゃないかと思うんです。PowerPointで創るのなら、それは「データで創る」とか「データで清書する」ということになるんじゃないかと。

ものっすごい細かい話で、なんか揚げ足取りみたいですね・・・。
でもでも、これって、
「ワイヤーフレームを一体何のために創り誰に見せるのか」
「ペーパープロトタイピングを何のために行うのか」

がわかっていれば、こういう表現にはならないと思うんですよ。
それが、きちんと整理できていないから、
「ワイヤーフレームの前にペーパープロトタイプをつくる」
という表現になるんじゃないかと思うんです。

大事なことは、Webサイト自体もそうだし、プロジェクト自体もそうですが、
「その資料、何のために創るの?」ということを、きちんと創り手が理解していないといけないんじゃないかと思うんです。
2009.10.26 Mon l 情報デザイン l COM(0) TB(0) l top ▲
ニートの海外就職日記

僕は、上記ブログの愛読者だったりします。
いや、本当にもう、働くということに対してこの国はきちんと全員が考え直すべきだと、いつも感じさせられます。
で、その最新エントリ「社畜になれないヤツは皆モンスター社員w。 」が

モンスター社員続出で右往左往する現場

を取り上げたエントリでして。
筆者である海外ニートさんは、労働時間外の拘束について突っ込まれていましたが、
ビジネスというかプロジェクト管理というか、仕事としては僕はこっちにも引っかかりました。

商社で働く小林百合子さん(仮名)は、入社1年目の男性の後輩に「明日中にこのレポートをまとめて、メールで私のところに送っておいてね。次の日のお昼の会議の資料として使うから」と頼んだ。「わかりました」と元気のいい答えが返ってきたので、小林さんは安心して任せていた。

しかし、翌日の夕方になってもレポートのメールは入ってこない。本人のデスクに目を向けると、資料をかたわらに置いて一生懸命にキーボードを打っている。「新人とはいえ、半日もあれば十分に終わる仕事なのに」。取引先との会食の約束の時間が迫ってくるのにつれて、小林さんの不満は募っていった。結局、タイムアウトとなり、仕方なく小林さんは職場を飛び出した。

翌朝、メールチェックをした小林さんは驚いた。確かにレポートのメールは入っていた。しかし、その時刻は何と「23時59分」。新人君を呼び出して「ちょっと遅いんじゃないの。もう少し早くから取りかかれば、夕方には十分できたでしょう」と小言をいうと、「でも指示のあった昨日中には送ったはずです」と答える始末。当人は涼しい顔だ。自分の行為が相手にどのような影響を及ぼすかまで、どうやらこの新人君は頭が働かないようである。




確かに、この新人君はいくらなんでも常識がないし、もう少し注意を持って仕事に取り組むべきだと思う(さすがに23:59に提出はね・・・)。それを、「ゆとり」というならそうなのかもしれない。しかし、それを言うなら、仕事をふった小林百合子さんだってじゅうぶん「ゆとり」じゃんかと、僕なんかは思うわけで。特定の世代をさして「ゆとり世代」と呼ぶのだから、そういう意味では違うのでしょうが「自分の行為が相手にどのような影響を及ぼすかまで、どうやらこの新人君は頭が働かない」というのが特徴だというのなら、小林さんだってじゅうぶんそうだろうと。むしろ、相手が新人君であり自分が先輩なら、罪としては小林さんの方が重いと感じます。


■時間を切れよ
この小林さんたら、他人に仕事を投げておいて、細かい期限を切ってないんですよ。笑っちゃうわ奥様。何かをお願いしたら「いついつまでやってね?」ってそんなの、当たり前じゃないの?。いや、時間切ってるんですけどね。で、それが「明日中」なんでしょ。だったら、守ってるじゃん新人君。それ以上細かく切りたかったの?じゃあ、そう指示すればいいんじゃないの?。で、このモンスター社員wを否定する筆者や小林さんはこういうわけでしょ?「そんなことも言わなきゃわからないの?」って。


いや、そりゃ赤の他人だからわかりませんよ。


そりゃね、さすがに23:59提出はないですよ。
その前に出しましょうよ。
でも、仮に就業時間が18時だったとして、18時に出したならもう誰も文句言えないんじゃないの?
っていうか、仮に僕がそうやって指示受けて(まあ、僕なら自分から期限聞いて設定しますが)、それをいきなり翌日になって「それ、AM中ね」とか言われたらブチ切れますよ。だって、「明日中」と言っていたのだから、それに何時間かけようと関係ないし、仕事はきっとそれだけじゃないので後回しにすることだってあるし。いや、むしろ後者の方がありがちなんですが。で、いきなりそんなこと言われてもねぇ。

というか、僕が後輩や部下がこんな時間に提出してきたら怒りますが、それはただ単に遅かったことではないです。そもそも、「23:59」なんて非常識な時間まで断りもなく働いてんじゃねぇよ!って怒ります。残業代だって高いんですから・・・・。そんなに激しく時間がかかってるなら、その前にちゃんと悲鳴あげやがれ!って。そしたら、なんとかするから。


■プロセスを共有しないで何言ってんの?
期限を切るということは当然大事(というか当たり前・・・)ですが、それって全体の中に一つの事項にしか過ぎないんですよね。もっと大事なことは「ゴールまでのプロセスを共有する」ことであり、もっと細かく言うと「ゴールまでのいくつかの期限とアウトプットを共有する」ことでしょう。

この小林さんっていうアホな先輩は何をしたかったのか不明瞭な部分があって、「出来上がったものの確認をしたかったんじゃないの?」というところが物凄く不明瞭。まあ、普通チェックしますが。っていうか、チェックしないなら別に23:59にレポートがあがってきてもいいんですよ。だって、チェックしないでそのまま使うんだから。新人君に「お前、時間かけすぎ」って言って終わるだけ。そして、小林さん本人も全く困りはしない。だって、データは完成しているのだから。

でも、たぶんそうじゃなくて、事前に確認したかったんじゃないの?
だったら、なんでそのプロセスを決めないの?
デザイナーは魔法使いじゃないし、クリエイティブ=スクラップ&ビルドでもない。」でも書いたけど、これは別にクリエイティブやデザインだけじゃなくて全ての仕事は同じだと思ってます。発注者側があぐらをかいてよいわけもなく、あぐらをかいていて良いものが出てくるわけもない。密にコミュニケーションをとることは絶対に必要だし、時間は有限なのだから、その使い方を共有しない限り一緒にビジネスなんてできるわけがない。

時間は有限なんでしょ?
じゃあ、なんで「提出→確認→修正」のタイミングを共有しないの?決めないの?って話です。別に、それを全部上司、先輩がつくれなんて微塵も思いません。しかし、それを共有しない限り、だっていつあがってくるのかも、どんなものがあがってくるのかもわからないじゃん。だから、それをまず出させればいい。なんで、それを出させないの?スケジュールを出させてもいないで、「半日で終わる仕事」を夕方になってまで待ってるわけ?アホじゃないの?。

相手が新人で、それを考えさせるのが教育という側面もあります。
でも、それなら先輩や上司は「この時間ぐらいまでにはスケジュールができてないと危険」というリミットを持ってなきゃいけないでしょう。そうやってリスク管理をするのが上に立つものの勤めでは?ましてや、相手は新人君なんでしょ?教育って、教育する側がリスクマネジメントした中で行うのが当然なんじゃないの?

■プロセスを共有しないことによる問題
で、実はこれいくつもの問題を抱えている行動なのですよ。
まず第一に。

・スケジュールを共有して仕事をするべきということを教育するタイミングを逸している
 まあ、そもそも先輩である小林さんがわかってないんですがね(笑)

「どうして、何も言わないで仕事始めるの?」
「私は確認はいつできるの?」
「あなたはいつ修正するの?」
「そういう出し戻し無しで完璧なものが作れるとでも?」
「っていうか私が帰っちゃったらどうするの?」
「私はあなたに張り付いて待ってなきゃいけないの?」
「他に仕事もあるんだけど」

まず、一番初めにこういうことを言わないといけないでしょ?
仕事を受けて「わかりました」じゃねーんだよとw
どういう風に進めて、発注者と作業者はどういう動き方をするのか。
それ、誰かが決めないと破綻するに決まってる。だって、全員暇じゃないんだから。
そして、多くの場合、それは仕事を受けたほうがやるべきだと思う。
だって、一番時間を割くのは作業するひとだもの。
作業者のスケジュールまで全て常に把握して発注するわけにもいかないし。
でも、新人君はそんなことわからない。だったら、それをわからせて、次からは「段取り」でできるようにするのが上司の務めでは?

それを、「阿吽の呼吸」とか「空気を読め」とか「気を使え」とか不確定で感覚的な指示をするから、仕事が増え、残業が増え、生産性が下がるんですよ。こういうアホ上司の仕事の出来ない、非論理的な指示が、生産性を下げるんですよね。


・問題発見のタイミングを逸している
これも本当に大きな問題。
この新人君、23:59にデータを提出したわけですね。
で、それはなぜなんでしょうか?
作業に時間がかかりすぎたから?
それとも、出すレポートが見当違いで、オーバースペック(内容が濃すぎ、多すぎ)だったりしたから?
それとも、出来上がってたんだけど、その他の用事(公私含む)で、期限どおりに提出したから?

これ、わかんないんですよ。
(まあ、最終的な成果物を見ればわかるものもありますが)
なぜなら、プロセスを共有していないから。
これはプロジェクトも同じですが、
「何をどうやって進めたのか」を共有していないと、「何が問題だったのか」なんてわかるわけがない。
もっと言うと、後からそれを共有してもわかるわけがない。そのタイミングで調査しなければいけないことがあるはずだから。だから、事前に「何をどうやって進めるのか」を共有しないと、その時取るべきデータを得ることができない。それを、後から言っても取り返しなどつくわけがない。単純な話、アクセスログだって、アンケートだってそうじゃないですか。

きちんと、途中でチェックするタイミングを作っていればわかるんです。
だって、そのタイミングで「遅れている」のか「内容が見当違い」なのかわかるもの。
そして、そのやり方すらも、本来は共有しているべきですよね。
いきなりレポートに取り掛かるんじゃなくて、まずは目次というか話の起承転結から作るべきだし、その次に論理に肉付けをし、その後やっと各章の内容を検討するべきだし。それはテキストだけじゃなくて入れるグラフや色味もあるかもしれない。それを、スケジュールをきってきちんと出させれば、どこに問題があるかすぐにわかるはずなんです。

そもそも、「半日」でできるものをそれ以上に膨大な時間をかけている時点で、仮に新人君が内容を間違えていないとすると、それはやり方が悪いわけでしょ。そういうのがもう、すでに表れているのに、それを指をくわえて待っているっていう感覚がもうすでに、小林さんもじゅうぶん「ゆとり」だという証拠(笑)。だって、「それについて何時間かけるべきか」という物差しすら共有しようとしてないのだから。それ、趣味ですか?みたいなw


■生産性を下げているのはアホ上司
新人君がどんなキャラや価値観なのかにも寄りますが、そもそもこれは小林さんの職務怠慢なんですよ。新人君でしょ?ただ仕事ふっただけで完璧にできるとでも?そんなわけないじゃん。そもそも、仕事に対してプロセスをつくり、共有し、進捗を確認し、最終アウトプット、中間アウトプットを共有するということの意識がない時点で、じゃあ、アンタは一体何のためにいるの?「仕事をしてね♪」って言うだけ?で、その後ブチ切れるだけ?


うん、それなら、あなたはいらない。


あなたにレポートを出すように指示した人が、直接新人君に一言言えばいい。
結局、同じことだから。
小林さん、いらないから。
できあがるもんも同じで作業時間も同じなら、人件費分無駄だから。(しかも新人より高いw)
「報告しろ」は無能な上司の合言葉。」でも書いたけど、同じコトです。

結局、「マネージャー」とか言いながらマネジメントなんかしてないアホマネだらけなんですよ。
生産性は悪いは、そのくせ怒鳴り散らすだけで、気に入らなきゃ就き返すだけ。
問題点の分析もなければ、共有する意識もなく、ひどいマネージャーだとスケジュール(プロセス)を共有する意識すらない。「なんで俺がお前のスケジュールに合わせなきゃいけないの?」とか言って自由奔放に動いたりするw。で、確認のタイミングが取れず、プロセスを共有してないから合意も覆り、無駄な作業時間が増える。そりゃ生産性なんかあがるわけがない。


小林さんみたいなアホな先輩、上司、マネージャーに問いたい。







「仕事ってなんですか?」

2009.10.25 Sun l ディレクション l COM(2) TB(0) l top ▲
【主役が着た服、ドラマHPで即通販 番組?広告?境界は】
http://www.asahi.com/culture/update/1011/TKY200910100375.html

 俳優が身につけた服やアクセサリーが、放送と同時に番組のホームページで購入できるという仕掛けの連続テレビドラマが、13日からフジテレビ系で放送される。通販会社やファッション業界と手を組んだ、この新手の放送ビジネスには他局も注目している。だが、番組と広告との境界があいまいになりかねないと指摘する声が上がっている。


 だが、あるテレビ局のベテランプロデューサーは「ドラマは内容が勝負なのに、服を売ることの方が優先される可能性がある」と不安を隠さない。立教大の服部孝章教授(メディア法)は「通販は通販、CMはCMと分かる。この仕組みは、人気モデルの香里奈さんが身につけることでより効果的な宣伝となる。視聴者は即、消費者という発想だ。CM収入が落ち込む中、知恵を絞るのは分かるが、公共の電波を独占的、排他的に使ってあこぎな商売をしていいのか」と警告を発する。



別にいいんじゃないの?と思います。
というか、大事なことは広告なのか番組なのかということではないと思うんですが。
そもそも、まるで消費活動を誘発する「広告」が悪者みたいな扱いになってますが、別に広告だってそれが視聴者やお客様の気づきになるんだったらかまわないはずです。例えば、僕はサッカーファンであり元ジュビロ磐田の名波選手のファンですが、サッカーの情報サイトに「名波引退記念試合チケット販売中!」と出ていたら、喜びますよ。それは、サッカーの情報サイトのコンテンツじゃないにも関わらず。だって、そこで気づきを与えてくれてうれしいですもの。

広告がダメなんじゃなくて、誰彼構わず、タイミングも計らずにガンガンと押し売りしたり、まるで中立の立場のような顔しながら自社商品を売ったりするその行為が批難されてるんでしょ。広告だって、ユーザが求めているタイミングで求めているものを出せば、それは思いっきり「求めているもの」なのだから喜ばれるはず。要は、欲しいコンテンツを欲しいタイミングでってのが一番大事なはずであって、それが広告なのか、情報なのかはどうでもいいというか、相手が決めることでは?と思います。

このドラマの話で言えば、ドラマが宣伝色が強くなりすぎて本来優先されるべきコンテンツが蔑ろにされ、ユーザの「ドラマを楽しみたい」というもっとも大事な満足体験を無視することがよくないわけで、それ以上でもそれ以下でもない。広告の人がなんというか「消費者をこっちに向かせる」とか「煽る」というようなスタンスなのが問題であって、本来は「こっちに向きたくなるような、消費者の求めるものを提供する」という、コンテンツプロバイダとして最も大事なことを把握してないから、こういう見解になるんだと思います。

だから、公共性がどうとか、そもそも視聴者のためにドラマつくってんのに何いってんの?という感じです。まず、一番大事なのはドラマを観る人が満足するかどうかでしょ。そのドラマのファンが「あの服欲しい!」と思ったならそれはその場を積極的に提供すべきだし、不要ならやめればよいだけだし。番組が公共性があるとかないとか言うのは、その広告性、宣伝色が強くなった時に言われることであって、しかもそれも「公共性」というキーワードなんてどうでもよくて、「ああ、視聴者はこれじゃつまらなかったんだね」「じゃあ、もっと変えないとね」っていう話のはず。

公共性とか、ドラマで宣伝をしちゃいけないとか、その時点で思考停止して、最も考えるべき「視聴者、消費者へどんなサービスをするか」ということが抜けている気がしてなりません。

まあ・・・・・・そもそもCMが入り「スポンサー」という物言い係を抱えているモデルのくせに、何が公共性だとか思うんですけどね(笑)
2009.10.19 Mon l プランニング・デザイン l COM(0) TB(0) l top ▲